そうした中で、ヴァントが、本拠地のはもとより、ベルリンやへの客演であれ、どこであれ、同じように煉瓦でも積むように実践を続けている間に、周囲のライバルが次々と姿を消し、気がつくと、比較を許さない圧倒的な存在になっていたというようなことのように思われる。 オーマンディやモントゥー(2人ともミュンシュと同様ヴァイオリン奏者からの転向組み)のように、コンサート畑1本という例外もいますが、稀なケースと言えます。 このDVD盤は、DVDならではの特性を活かして、 カメラ・アングルを指揮者に固定した映像で全曲を見ることができる。
1945年4月30日、戦時中最後のコンサートを指揮しました。
のライナーに掲載された発言からの抜粋 1996年2月22日、「シュテルン」誌のインタビューから 私が初めてベルリン・フィルを指揮したのは1949年、ベルリンが封鎖され大空輸作戦が行われていた最中でした。
『カルミナ・ブラーナ』は古今東西あらゆる演奏の中でも最高峰に位置する衝撃的大名演・大名盤。
104 1878-80年原典版 [Disc2] 北ドイツ放送交響楽団創設50周年記念演奏会 交響曲第5番 変ロ長調 WAB. ピアノの入りは、感じがいい。
そもそもが生涯を通じて世間的なステータスで(注:芸術的価値の意味ではない)今ひとつ大きく飛ぶ抜けた存在にならなかったのは、8つ年上のカール・べームが、彼と似たタイプの先輩として「君臨」し続け、とともに、欧州楽壇の日の当たる地位と機会を独占し続けたことも大きいと思う。
そしてその演奏には確かにいくつもの啓示があった」と同年11月28日付けのに寄せている。
人々が同情を込めて「まあ、ライヴ録音だから仕方ないな」と言えないようなものをね。
切り捨て、限定して、それに集中する。 北ドイツ放送響50周年記念の第5番はヴァントが得意とした作品に真っ向から取り組んだ至上の名演で、複雑なフーガを偉大な発展の糧として解放感に満ちた無類のコーダに至るプロセスの完璧さに脱帽! 」 全くその通りで、古めかしさなど全くない演奏になっている。 逆に言えば、べームが「」(墺政府が送った正式な名誉職らしい)として君臨し続けられたのも、世代による運があると思う。
1中でも、後者と録音したブルックナーのレコードはドイツ・レコード賞を獲得し、この後続いて録音されたブルックナーの交響曲全集によって、彼はケルンの外にも広く知られるようになる。
確かに、5番は名演ですよね!しかしながら、コンヴィチュニーのような大家と比べると、やはりヌルいでしょう! 「今まで私の申請はすべてこの理由で断られたからです」と私は答えました。
せっかくオーケストラ使ったのに使わないとは。
自分を出して、エゴのチャームで押しまくっても、この頃は結構通るようですね。
15これはブルックナーで最高に効果を発揮する美点である。
105 原典版 【演奏】 ギュンター・ヴァント 指揮 北ドイツ放送交響楽団 【録音】 ライヴ録音 [Disc1]1996年10月11-13日 [Disc2]1995年10月8-10日 ハンブルク、ムジークハレ Profilの名盤を丁寧にSACDハイブリッド化! 1作ずつじっくりと向き合って味わいたい〈ヴァント 不滅の名盤〉 比類なき生命力、不滅の名演。
このシューマンは違うべきだと思った。
それは酷いほどの事実です。
5番を除いて、(中野雄氏も述べられておりますが)ヴァントのベルリン・フィルとのブルックナーは変に神経質で安らぎがありません。
第二夜はもっと速い。
ベートーヴェンの「エロイカ」でした。
頑張って、闘って、ようやく聞いてもらったことが、今は、すっと通るのはどうしてか。 今でも私はこれらの録音に素直に耳を傾けられますし、恥じることなどありません。
17演奏会場は東京オペラシティ・コンサートホール「タケミツ・メモリアル」である。
北ドイツ放送響(ハンブルク)に招かれたのは82年(70歳)で、83年に初めて振ったベルリン・ドイツ響にも気に入られ、96年(84歳)に名誉指揮者の称号を受ける。
また、80年代ののといえば、マタチッチというユーゴの巨人、この規格外れの巨匠が遺した一期一会の壮絶な演奏(の8番。
彼はこのブラームスの四番につづき、ベルリン・フィルを振った第三弾として、ブルックナーの「ロマンティック」をレコーディングしたが、これも極上の出来なので一言書いておきたい。 1928年4月30日BPOとベートーヴェン第1、「未完成」「ティル」。 その前に呼ぶ機会は十分あったのに。
11シューベルト未完成とブルックナー第9番という「彼岸」の2曲の超名演。
と その1. 1999年4月25日PM3:00からNHK-ETVでヴァント指揮ベルリン・フィルの1998年9月20日の演奏会の模様が放映されたのを見た。
何が驚異かといえば、単にバランスを整えるというようなきれいごとの作業ではなく、いろいろな楽器が加わったり離れたりするときの色合いの変化、意味の変化が最も深く追究されているからで、その点では過去のすべての演奏を上まわるかも知れない。